「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」の真意について

画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の劇中のセリフで、綾波レイというキャラクターの
 
「あなたは死なないわ」
「わたしが守るもの」
 
という有名なものがある(何故わざわざ「新劇場版:序」と書いたか。それは自分がTV版にあまり詳しくないからである)。
このセリフは、エヴァファンや、「そうでも無いけどアニメはいろいろと観てます」というオタク諸兄のみならず、一般層(なにが?)にも広く認知されているフレーズだと思う。
有象無象の「エヴァ名セリフ集」的なランキングには、だいたいこのセリフが何位であれ先ず以てランクインはしていると思う。
 
確かに、綾波レイのあのキャラクターでこんなセリフを言わせたら、それは印象深いものになると思う。
 
そして、このセリフはその真意が誤解されて伝わっていることがとても多いと感じる。
 
レイは、決してシンジを想う気持ちからこのセリフを言ったのではない。
 
綾波レイというキャラクターがこのセリフにどんな気持ちを込めたかについて、自分なりの見解を以下に記す。

綾波レイってなんなん?

 

まず、綾波レイというキャラクターのプロフィールについて。
厳密に説明するとかなり紛糾しそうなので詳細は省くが、要は
 
自然に生まれてきた一個の人間ではなく、エヴァンゲリオンパイロットを務めさせるという目的のために、人為的に作られた人間
 
ということになる(綾波レイの正体の詳しい解説については、偉大な諸先輩方の研究を。エヴァ考察はとても自分の手に負えるものではない)。
 
本人は自分の出自について、
 
  • 「自分にはエヴァに乗って戦う以外なにも無い」
  • エヴァに乗ることを通してしか人と繋がることができない」
 
というような内容のセリフからもわかる通り、自分のことをエヴァンゲリオンパイロット以外の何者とも見なしていない(いなかった)節がある。
 
他者との交流をはからず、感情表現が苦手、オマケに肉体の成長速度が実年齢より何年分か早まっているため、心は見た目よりもずっと幼い。
 
彼女の運命を斟酌するとこのような評は不憫かもしれないが、随分おかしなというか、静かに病んでるキャラクターだと思う。
 

このセリフの背景について①

 
そもそも、「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」はどういうシチュエーションでのセリフなのか?
 
簡単に説明すると、綾波レイ碇シンジが、直後に始まる使徒(敵の怪獣みたいなやつ)との決死の戦いに備えて2人で戦闘服に着替えるシーンで出てくるセリフである。
 
シンジはこの使徒(第6使徒。TV版の名称に倣ってラミエルと呼ばれることが多い)にいちど敗走しており、その際には心肺停止寸前の状態にまで陥る重傷を負っている。
シンジは、ラミエルにボコボコにされたことで、エヴァに乗ることに対するネガティブな気持ちを増長させており、作戦開始の前にはパイロットとしての任務を放棄しようとする描写もある。
つまり、シンジはそういう気持ちを押し殺して支度しており、この時、メンタル的にはかなりナイーブになっている。
そして、レイとパーティションで区切られただけの部屋で2人で着替えているとき、パーティション越しにいきなり
 
「これで死ぬかもしれないね」
 
などとあり得ないほど不吉なことを言いだす。
それを受けてレイが
 
「いいえ、あなたは死なないわ」
「わたしが守るもの」
 
と返す、というのがこのセリフの背景になっている。
 
こうして表層だけを見ると、一般的には「作戦を前にネガティブになっているシンジを励ますレイ。ふだん感情を表に出さないレイの裡(うち)に秘めた優しさが見て取れる、心温まるシーン」という印象になるが、これはぜんぜん違う。
 

このセリフの背景について②

 
vs第6使徒(以下「ラミエル」)戦におけるシンジとレイの役割分担だが、
要はシンジが攻撃、レイが防御である。
 
ラミエルを倒すためには陽電子砲の火力が必要不可欠であり、陽電子砲とその砲手である初号機を守ることにすべてが懸かっている、乾坤一擲の作戦と言える。
この「零号機の役割は初号機を守ること」というのがポイントである。
 

他のセリフを確認してみる

 
「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」の意味を正しく読み解くためには、そこに至るまでのレイのセリフや描写を最初の方から浚っていく必要がある。
この作業の中で特に重要なのは、「レイはシンジのことをどう思っていたのか」「レイの精神世界はどうなっているのか」に注目することである。
 
◆レイはシンジのことをどう思っていたか?
 
これは初めからちゃんと観れば意外と簡単にわかると思うが、vsラミエル戦にケリが付くまで、レイはシンジのことをただの同僚としか思っていない。
厳密に言うと、碇ゲンドウという自分が唯一こころを開く人物の息子という意味では、多少の関心はあったかも知れないが、好意の類は描写されていないのである。
 
シンジがラミエルに瀕死の重傷を負わされた時など、それがよく分かる描写がある。
 
病室のベッドで目が覚めたシンジの隣には、座って本を読むレイ。
「まさか……シンジのことがそんなに心配で!?」と視聴者に思わせたのも束の間、次のラミエルリベンジ戦の作戦要綱を淡々とアナウンスし、エヴァにはもう乗りたくないと怖気ずくシンジに
 
「じゃ、寝てたら」
「初号機には私が乗る」
「さよなら」
 
と、不自然なほど冷たい言葉をかける。
 
このふたりの次の会話が、問題の「これで死ぬかもしれないね」「いいえ、あなたは死なないわ」なのだから、「レイが怯えるシンジを気遣って声をかけた」と解釈するのは、よく考えると逆に難しいくらいではないか?
 
◆レイの精神世界はどうなっているのか?
 
「わたしが守るもの」の次にふたりが会話をするラミエルリベンジ戦直前のシーンで、その会話の内容から、綾波レイという人物の精神世界についてもう少し理解が進む。
 
作戦開始の定刻をふたりで待つ間、少しだけ会話が交わされる。
 
■「綾波はなぜエヴァに乗るの?」
◎「絆だから」
■「絆?」
◎「そう、絆」
■「父さんとの?」
◎「皆んなとの」
■「強いんだな、綾波は」
◎「私には他になにもないもの」
◎「時間よ。行きましょう」
◎「さようなら」
 
ここでレイが言っていることを要約すると、
 
  • 「自分はエヴァに乗って戦う以外なにも無い空っぽな人間です」
  • エヴァに乗って戦うことを通してしか、他人と関わる方法がわかりません」
 
ということだと思う。
 
「新劇場版:序」の続編である「新劇場:破」の劇中で、自身について「エヴァでしか人と繋がれない」と吐露するセリフがあることからも、上記のように考えて問題ないだろう。
 

綾波レイには感情がある

 
ここまで書いてきたことから「綾波レイには感情らしいものは無いのか」という印象を受けるかもしれないが、監督の庵野くん本人は「綾波レイには感情はある。その表現の仕方を知らないだけ」と言っている。
 
まあ出自が出自なだけに、心の発達がまともな軌道に乗らなかったというのも無理はない。
「喜怒哀楽」というレベルの感情ですら、レイの中では整理のつかない目伏しがたいものに感じられるのだろう。
 
そのことを表すエピソードとして、「序」の初めの方で、ゲンドウのことを悪く言ったシンジをレイがいきなりビンタする、というよく分からないシーンがある。
 
これは庵野くんの説明に照らし合わせると、「自分が慕っている人のことを悪く言われてちょっとムカついた」くらいの気持ちを、レイは何故かいきなりビンタすることで発散した、ということになる。
その描写があまりにも脈絡のないものだったので、「金曜ロードショーエヴァやってるし観てみよーっと」くらいの層からすると、「……今の演出はあとから効いてくるのかな?」と、そのシーンに対する解釈をいったん保留にする人も多いのではないだろうか。
 
このシーンにはそんな深い意味はなく、ただ「ムカついたからいきなりビンタしただけです」以上の意味が込められていないのである。
 
こう考えると、綾波レイというキャラクターがどれだけ感情表現に難ありの奇天烈な人物か、わかってもらえるのではないだろうか。
 

「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」の真意

 
ここまでで確認してきた事柄、つまり
 
  1. 綾波レイは、自分について「エヴァに乗って戦う以外なにも無い空っぽな人間、エヴァに乗って戦うことを通してしか他人と関わることができない人間」と考えている
  2. 綾波レイは一般的な感情表現の仕方がほとんどわからなかった
  3. 碇シンジは当該のセリフの直前に、綾波レイに「(自分は)これで死ぬかもしれないね」と言っている
  4. 当該のセリフの時点では、綾波レイ碇シンジに好意を抱いていない
  5. その後に控える作戦での綾波レイの任務は、「碇シンジを守ること」である
 
 
これらを踏まえると、おのずから答えは見えてくるのではないだろうか。
 
「あなたは死なないわ」
「わたしが守るもの」
というセリフは、レイがシンジのことを想って言ったのではない。
レイが、レイ自身に言い聞かせているのだ。
 
より詳細に書くと、
 
■「これで死ぬかも知れないね」
◎「(……『これで死ぬかも知れない』?エヴァパイロット以外アイデンティティの無いこの私が、あなたを守るという任務をしくじることを懸念しているの?)いいえ、あなたは死なないわ」
◎「(私は自分に与えられた任務を必ず全うするために)わたしが守るもの」
 
ということになる。
 
そのシーンを実際に見てみると、
 

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まさにこのタイミングで「わたしが守るもの」と言っているのだが、ここで重要なのはレイの姿勢というか、体の状態である。
これは、シンジに面と向かって言っているのではない。
着替えが済んだ後、パーティション、つまりシンジがいる方向に背を向けてこのセリフを言うのである。
そして、シンジの方を振り返ったりすることは一切なく、このまま無言でスタスタと待機地点へ去ってしまう。
シンジのことを想っての行動であれば、心を配る相手にこんな風に背を向けて、翳りのある表情で喋るだろうか?
こういったところからも、上記のように考えるのが自然であろう。
 
また、レイの感情表現の不得手さを考慮すると、「死ぬかも知れない」と言われて単純に「いやいや、わたしが守ることになってますから。そう上から指示されてますので」という感情の機微もクソもない無粋な返答を寄越した、という部分もある。
 
いずれにせよ、シンジのことを想って、という一般的にイメージされるニュアンスは込められていないのである。
 

オマケ:「さようなら」の意味について

 
こういう事情があっての「あな死なわた守」だというのがわかれば、他のセリフの解読もスムーズに進むのではないだろうか。
 
例えば、レイは何かにつけて「さようなら」と言う。
前述の病室での「じゃ、寝てたら?」のシーンや、作戦開始前の「絆だから」のシーンで、去り際にいかにも意味深な感じで言う。
これら2つの「さようなら」の意味も、今ならわかる。
 
病室では、シンジが「もうエヴァ乗りたないねん」というような泣き言を言ったため、レイが
 
「ほな私が乗りますわ、あんたパイロット辞めはるんやね」
パイロット辞めはるんやったら、もう会社で会うこともありませんわね。ほな、お世話になりました」
 
という、同僚への単なる別れの挨拶として「さようなら」を言っている。
 
また、作戦開始前のシーンでは
「この作戦での私の任務は、初号機を守ること。その為に私は命を落とすかも知れない。最後に言っておきます、さようなら」と、半ば遺言のような気持ちを込めていたのかも知れない。
 
表情や声のトーンでは判別しにくいが、同じ「さようなら」という言葉でも、本人的にはぜんぜん違う意味で使っているのだ。
 

オマケ:どんな顔をすればいいのかわからんのやったら大人しくしときなさい

 
その後、ラミエル戦のクソアツい戦闘シーンがあり、零号機、初号機ともにダメージを負いながらも辛勝を収める。
レイは宣言通り、あわや灰燼に帰すかという窮地に陥った初号機を見事に盾で守った(1発目を外したとき零号機ってどこにいたの?)。
レイを救出するためシンジが零号機のコックピットのハッチを開け、中を確認すると、レイは無事。
シンジはレイの姿を見て安堵し、涙をこぼす。
そこで飛び出したレイのセリフがこれである。
 
「何、泣いてるの」
 
なんやねんこの女。
レイの身を案じて駆け付けたシンジが泣いている姿を見て、「何、泣いてるの」。
これでは、綾波レイには感情がない、というような印象が先行するのも無理はないだろう。
 
そして、これに続くセリフが
 
「ごめんなさい」「こんな時、どんな顔すればいいのかわからないの」
 
ムチャクチャである。
感情表現が苦手とか、そういうレベルの話だろうか。
本当に心底から「この人なんで泣いてるんだろう、こういう時どんな顔すればいいんだろう」と思ったとしても、それを目の前の相手に向かってわざわざ口に出すというのはなかなか出来ないことではないだろうか(だからこそ、レイの生い立ちの不憫さが引き立つのだが)。
 
しかし、シンジは怯むことなく(?)レイに向かって
 
「笑えばいいと思うよ」
 
と諭す。
すると、レイは一瞬のハッとした表情を挟んで、シンジに柔らかく微笑む。
シンジが差し出した手をレイがとる。
 
レイがシンジのことを意識し始めたのはここからだと思うが、それにしてもこの女、笑おうと思えば笑えたのである。
 
こういうところが「序」のレイらしいなと思う。
普段は笑うタイミングがわからないが、感情が無いわけでもないし、「笑え」と命令されたら笑うことはできるのである。
感情が無いから笑うことができない、というのは誤りである。
 
鷺巣詩郎氏の素敵な音楽によって感動的なシーンであるかのように彩られてはいるが、会話の裏側に隠れているのは、綾波レイというキャラクターの不具性である。