寸評:『MOTHER2 ギーグの逆襲』

分の中で開催されているコーナーのひとつに、「未プレイの名作ゲームを"回収"しよう」というのがある。
子どもの時分に欲しいゲームを何でもかんでも思うがままに買ってもらえた、なんて人はあまりいないと思うが、そうは言ってもやり残したゲームへの憧れは歳を食っても消えることがないし、どころか年々強まってきてさえいる。
皆んなもそうですよね?
 

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というわけで、スーパーファミコンのゲームソフト『MOTHER2 ギーグの逆襲』を買って、一通りプレイした。
プレイヤーとしての体験をすべて回収するために、SFCのソフトをわざわざ中古で購入した(あの電源スイッチをカチッとやるのがイニシエート的でとても大事なんですよ)。
名古屋の大須にはレトロゲームショップが充実しているので、このコーナーにとってはまさしく渡りに船である。
マザー2は、まぁ、ずっとやりたかったかと言われるとそうでもないけど、名作と言われることの多い作品なので箸を伸ばすことにしてみた(スマブラにピックアップされてる時点で実績があるということだろうと思うし)。
ストーリーについては各自調べてもらえばいいので省略するけど、簡単に言うと少年少女が宇宙人の地球侵略を阻止するために戦うお話です。
コピーライターの糸井重里さんが監督・脚本を手掛けたことが話題になりがち。
コミカルでポップな世界観と不意に挿入されるシリアスさのコントラストが〜とか、脚本が感動するとか、考えさせられるとか、そういう前評判(?)の内容はだいたい理解できた。
 
個人的にマザー2いいなと思ったポイントは、「母親」というものに向き合う契機をくれたことだ。
 
 

MOTHERというタイトルの意味

 

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MOTHER、「母」である。
そもそも、マザーシリーズはなぜ「MOTHER」という奇妙なタイトルなのか?
ギーグという宇宙人からの地球侵略を防ぐというシナリオから、自分は勝手に「我々の母なる惑星、地球」という意味かなと思っていたが、糸井さんは雑誌(ニンテンドードリーム。1996年掲載時の雑誌名はザ・ロクヨンドリーム)のインタビューでこう答えている。
 
今のゲームって非常に父性的なんですよ。父親の罠を息子が攻略していくみたいなね。だから母性的な匂いのするものを作りたかったんです。例えば、最初に円盤が出てくるけど、それはマザーシップだし、お母さんも出てくる。そんな母性(マザー)的な要素を入れたかった。それに僕たちって母親が作った人間なんです。父親が作った人間ってすごく少ないと思いますよ。
 
母という概念をテーマに作ったからMOTHERというタイトルになった、ということだろう(本人は同インタビュー内で「MOTHERシリーズにテーマとかは特にない」と言っているが)。
なので、母なる地球説もまあなくはないかな。
 
ちなみに、『MOTHER2 ギーグの逆襲』の英題は『EarthBound』となっており、前作の『MOTHER』が2015年のWii Uバーチャルコンソールとして配信された際には『EarthBound Beginnings』と英題が当てられている。
 
"earthbound"というのは
  1. 物理的に地表に固着していること。草木の根などもそうだし、鳥が飛べなくなったら、その鳥はearthboundな状態ということになる
  2. 世俗にとらわれた、現世的な
  3. (宇宙船などが)地球に向かっている、という状態
 
と3つくらい意味のある単語らしい。
"bound"は"bind=縛る、拘束、束縛"の過去分詞なので、(いろんな意味で)地球に縛られた、というニュアンス。
「我々は母なる地球から切り離されることができない」
「母から生まれた人間は母に対してearthboundである」
という意味で、この英題が当てられたのだと思う。
 

「ハンバーグを たべて ゆっくり おやすみ。」

 
マザー2では、新しいプレイデータでゲームを始める場合、最初にキャラクターやペットの名前を決めさせられる。
その際に「すきなこんだては なに?」と、自分の好物を訊かれる。
なんだこれ、と思いながら「ハンバーグ」と入力した(この記事を書いているときに初めて知ったが、デフォルトの設定だと偶然にもハンバーグになるらしい)。
もしこの質問が「すきなたべものは なに?」だったら、多分「天下一品 こってり」とか「アイスクリーム」とか答えてたと思うけど、「献立」と言われると回答も少し違ってくると思う(下の写真で、最終チェックの時には「たべもの」表記になってるけど)。
献立と言うからにはそれなりに料理っぽいものを選ぼう、と思って適当にハンバーグにしたけど、後から振り返ってみると、母の手料理のなかでいちばん好きだったのがハンバーグだった。
 

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ゲーム内でその「ハンバーグ」がどう活用されるのか?
自宅に戻るといつでもノーコストでHPとPPを全快できるのだけど、その時ネスのママが
「おかえり ネス なにもいわなくても いいの。ママは わかってるつもりよ。」
「ずいぶん つかれてるようだし ハンバーグを たべて ゆっくり おやすみ。 チュッ!」
と言ってハンバーグを振る舞ってくれる(この自宅で流れるBGMがまた最高なんですよ。GCスマブラのフォーサイドの元ネタです)。
 
自宅に戻ると母親の作ったハンバーグが出てきてステータスが全快することについて、序盤では特になんとも思わなかった。
むしろ「ハンバーグは好きだけど、いつもハンバーグかぁ……」と、10%ほどのウンザリ感もあった。
そもそも自宅のあるオネットからそんなに離れたところまで進めないので、ノーコストで回復できる家を拠点にしていた節がある。
最初はマサラタウンの徒歩圏内でしか行動できないことを想像してもらえば分かりやすいだろう。
帰ろうと思えばいつでも帰れるという物理的制約の無さもあって、「家に帰ったら回復できる。おまけにハンバーグがでてくる」と、母のハンバーグを当たり前のものとし、そこに有り難みなど感じなかった……。
 

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ゲームが進んでいくにつれ、だんだん実家から遠ざかっていく。
謎の宗教団体に占領されてる街や、オバケが出る街、茫漠たる砂漠、狂気の反転世界……。
 
「もう、ママや、妹や、ペットの犬がいつも通りピコピコ動いてるあの家には帰れないのかな」
 
などと心細く思っていると、なんと中盤でテレポートが使えるようになり、いつでも自宅にひとっ飛びで帰れるようになる(ポケモンでいう「そらをとぶ」みたいな感じ)。
初めてテレポートでオネットに帰った時の、あの感慨深さはなんと言えばいいのか。
自分は26歳で一人暮らしを始めたが、そこから半年後に初めて「帰省」というものを経験したときの感覚にそっくりである。
ゲームの進行上はこのタイミングで実家に帰る必要はないのだが、まぁこれも冒険の妙味かなと思って家に帰ってみる。
 
自宅に戻ると、今まで通りママと妹と犬が、ピコピコ動いている。
ママに話しかけると、
 
「おかえり ネス なにもいわなくても いいの。ママは わかってるつもりよ。」
 
「ずいぶん つかれてるようだし ハンバーグを たべて ゆっくり おやすみ。 チュッ!」
 
母親というものはえてして、子どもが一度でも「美味しい」「好き」と言ったものを馬鹿の一つ覚えのように度々ふるまってくれる。
序盤では若干うんざりしていたハンバーグ攻めも、故郷を離れた今となって、それが自分は無条件に肯定されて然るべきなのだという証しのようなものに思えてくる。
 
長居してもポーキーが悪さをするだけだし、一泊したらすぐにオネットを出て、ストーリーを進めよう……。
 

おかあさん

 
ところで、自分は母親とはあまり上手に付き合うことができなかった。
血の繋がった親子であり、毎日顔を合わせる同居人、衣食住を提供してくれる庇護者という意味で、礼儀上うまくやっていこうと試みてはきた。
しかし、生来の気質というか、ものの考え方、価値観がまるで一致した試しがない。
嫌がらせか、と言われるほど、すべてが母親と真逆だった。
お互いの価値観について、理解できないどころか、それが間違ったものだとして、互いの間違いを是正するという名目のもとに攻撃しあってきた(母親が聞いたら、きっと「攻撃とはなにごとや」とまた怒り出すだろう)。
どうやったらこの人からこんな子どもが育つんだ?と未だに不思議に思っている。
 
実家にいた頃は、毎日のように言い合いをしていた。
きっかけは些細なもので、やれ布団を干せだの、部屋の電気を点けろだの、心底くだらないことから始まる。
 
「布団は昨日も干したし、今日はこれから雨が降るかも知れないから干さないほうがいい」
「自分の部屋の電気を点けるタイミングは俺の勝手だ」
 
などと言い返すと、
 
「布団は毎日干した方がいい」
「ずっと暗いところにいたら体がおかしくなる」
 
という旨のことを言いながら部屋に入ってきて電気を点け、布団を奪取していく。
こうなったら、こっちはもう反論の弁を湧き立つがままにさせる。
すると向こうがそれを100倍にして返してくる。
激昂。怒号。
これを20年間ほど、3日に1回くらいのペースで繰り返してきた。
2人とも前世で悪徳を積んだために、いま修羅道に落とされているのかという有り様である。
そんな状況に嫌気がさして、26歳になってすぐに一人暮らしを始めた。
 
初めて帰省というものを経験したとき、母は夕飯にハンバーグを振る舞ってくれた。
帰宅した時、ちんと済ましてテレビを観ながら、振り向きもせずに「ハンバーグ置いたあるしな」と、実家を出る前と寸分違わない様子でそう言う母の後ろ姿が、却ってすべてが普段通りでないことを表していた。
いがみ合いの毎日だったが、母は食事に関しては一切手を抜くことをしなかった。
1ヶ月間まいにち違う献立を作れと言われてもその通りに出来るだろうし(実際、本当にそういう月もあったんじゃないか?)、母の作る料理はどれも驚くほど美味しかった。
いまの自分の結構な逆偏食(僕の造語。美食に興味がなく、健康第一に考えて逆に同じものしか食べなくなること)は、子どもの頃に母が美味しい料理を好きなだけ食べさせてくれたことで、食に対して充分に満足し切ってしまったからだと思う。
こんなにありがたい話があるだろうか。
 

「あなたも もう おうちに かえらなきゃ。」

 

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宇宙人の親玉に操られて悪の手先になった、お隣さんの息子ポーキー。
ポーキーの足跡を追って東奔西走したのち、最後に主人公たちは、敵がいる過去の世界へのタイムスリップのために自分たちの命を捨て、全員ロボットになってくれと頼まれる。
急にメチャメチャ怖い話になったな。
 
世界中の人たちの祈りの力でラスボスを倒したあと(この演出がマジでいいんですよ)、なんやかんやでロボットから生身の身体に戻ってこれた主人公たちはそれぞれの家に帰っていく。
ハッピーエンド。
 
……。
 
自分の家から出発して最後には自分の家に戻って来、旅の道中での成長を両親から手放しで褒められるというシナリオが、家族という共同体が正常に機能している場合の見本のようなものに見えて、自分には辛く感じられる部分があった。
ママはネスの成長を喜び、パパは差し迫ったネスの誕生日をきちんと祝うために家に帰ることを約束してくれた。妹もネスの帰還を喜んだ。
自分は母親とは反りが合わず、父親のことも信用できなかった。兄弟はいない。
こんな家に生まれていれば、自分も、欠落した自分自身を認め、許すことができたのだろうか。
 
一人暮らしを始めてからずっと、頑なに自炊にこだわってきた。
母が作るように栄養バランスの良いメニューを、母が作るように手際良く、母が作るようにとびきり美味く作ってやろう。
いつも、そう思いながら料理をしている。
その一連の行為が自分の中でどういう意味を持つのか、未だに判然としない。
母を越えてやろうという対抗心なのか、一人二役的に自分と母を両方演じようとしているのか、こういう形でしか復讐の仕方を知らないのか……。
 
自分でハンバーグを作ってみて、これはけっこう手間のかかる料理だということがわかった。
次に帰省した時、またハンバーグが出てきたら嬉しい。
MOTHER2 ギーグの逆襲をプレイしながら、漫然とこんな風に考えた。