5th WHEEL 2 the COACHは冬のアルバムだ

マージャム'95、皆さんも好きですよね?

夏休みの昼寝のあとのような雰囲気を湛えた、ありえないほど心地の良いトラック。

DEV LARGEがバックトラック基準で選曲したコンピレーション『MELLOW MADNESS』に収録されていることからも、そのクオリティの高さはお墨付きです。


スチャダラパーをよく知らなかった頃、彼女が夏場に車でかけていて「え、なにこのヤバすぎる曲は」と一発で虜になったのを覚えています。

ジャンルの垣根を超えた、夏の定番曲です。

そんなサマージャム'95のイメージから、このアルバム全体も夏のアルバムだと思われることも多いと思います。

 

しかし、そう思ってアルバムを頭からマジメに聴いてみると、なにか違和感があります。

僕も最初は夏のアルバムだと思ってましたが、よく聴くと『このアルバムは、季節としては冬をイメージしてるんじゃないか?』と感じる。

それで、キチンと歌詞を意識しながら収録曲の内容について精査していくと、やっぱり夏ではなく、冬です。

本稿では、その調査記録(もとい、胡乱な妄想ですが)を以下に開陳します。


ジャケットについて

まず、曲に触れる前に、ジャケットがどんなだったかを見てみましょう。


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これです。


どう見ても夏の格好ではありません。

CDケースを開けてブックレットの裏側を見るとわかりますが、木が完全に枯れています。

「夏ではない」どころではなく、冬そのものです。

ここでまずひとつ冬要素が入ってきます。


『AM0:00』

この記事の趣旨と関係ありませんが、このインストはマジでヤバすぎます。

あり得ないくらいカッコいい。

奇跡のトラックだと思います。

このアルバムは『AM0:00』から始まって『AM8:30』で終わるという構成なので、さぁ今から夜更かしだ、という導入部分の曲です。

アルバム全体としてはおちゃらけたテーマの明るい曲が多い中、このインストのおどろおどろしさは何でしょうね。


『B-BOYブンガク』

この曲は初っ端で冬要素が入ってきます。


「やっとペンを握ることができた 何年も眠ってたみたいだ 冬を照らすオレンジの街灯が 俺たちの体を暖めた」


冬です。


それから、

「白い息とともに吐き出される パート2のようなフレーズ」

アスファルトに熱を奪われちまうと 俺まで縮こまって唸って逆らうのも辛く ただ春を待つ」

「寒くない冬などない」


と、冬をイメージさせる歌詞が散見されます。


『ノーベルやんちゃDE賞』

この曲はとくに冬要素なし。

BoseとANIが司会者ポジで式典がスタートし、2人で受賞者の紹介をつらつらと述べ、最後はANIがコマツノブロウなる人物に扮してスピーチをする、という構成になっています。


南極物語

この曲にもとくに冬要素はありません。

バイトに行くor行かない、自分たちの曲の売れ行き、BoseがANIに紹介した女の子のこと、今日の会話で失敗した所の反省といった日常の一コマについて、「結局のところ……」でトピックを締め括るという、ただそれだけの曲です。


『5th WHEEL 2 the COACH』

この曲にも季節を感じさせる要素は見られませんが、「夜中にやってんだな」というアルバムのコンセプトについては言及されています。

 

「さあ 仔猫ちゃんを寝かしつけたらまた 再開だ夜中から朝 タイムカードもない逆9 to5」

 

直球で昼夜逆転夜型人間の詩です。


サマージャム'95』

一旦、このアルバム全体がどういう構図で作られているのか、僕の持論を説明します。

このアルバムは、『AM0:00』で冬の夜が始まって、そこから製作のために夜更かししてるSDPメンバーの様子を描いたものだと考えています。

『B-BOYブンガク』でマジメに製作スタート。

歌詞の内容は結構シリアスめで、スチャダラパーにしてはちゃんと格好がついている。

『ノーベルやんちゃDE賞』はテレビです。

「夜中にこんな変な番組やってたよ」という、製作途中でたまたま見たテレビ番組というコンセプトの曲だと思います。

南極物語』は製作過程で物思いに耽る様子。

シリアスな心情の描写がなく、過去の思い出の話ばかりです。

『5th WHEEL 2 the COACH』でまた製作に戻り、この『サマージャム'95』で寝てしまいます。

サマージャム'95』は、これまでの曲(というか、このアルバムの他のすべての曲)と違い、思いっきり夏丸出しの曲です。

 

僕は『サマージャム'95』は、「冬の深夜に寝落ちしてしまって夏の夢を見ている」という設定の曲だと考えています。


『ジゴロ7』『ドゥビドゥWhat?』

この辺はとくに冬というか、季節感要素はありません。


『The Late Show』

遅刻をテーマに据えた曲で、タイトルがダブルミーニングになってますね。

 

「刺すようなとはよく言ったこの寒さ息も白かった」

「ガードレールに触れた手がひんやり」

 

あたりで季節について言及しています。


『From喜怒哀楽』

「冗談みたいな暑さのあの夏の前だ」と季節について言及している箇所がありますが、あくまでも過去の思い出話なので、現時点での季節とはあまり関係なさそうです。


『ULTIMATE BREAKFAST & BEATS』

『AM0:00』に続いて記事の趣旨から外れますが、この曲の魔力も凄いです。


科学的には振動の一種に位置付けられる「音」という現象の中でも、音色という概念についての研究は、音の基本的な性質と比べて謎が多いらしいです。

音色を、聴覚以外の感覚器官から受け取った情報の待つイメージや、単純な感覚器官の受信号よりももっと複雑な感情や記憶・体験に結びつけるというのは、ひとえにセンスの賜物だと思います。

そんなアブストラクト極まりない作業領域の中で、「徹夜明けの謎の達成感と、冬の朝陽が織りなす玄妙なグラデーションの美しさと、これから始まる1日の低クオリティを想像したときの絶望感と、シンプルな体のクソダルさ」がインストで一挙に表現されていて、本当にすごいと思います。

浮かんでくる情景や想起される感覚があまりにも鮮明すぎるせいで、聴くとリアルにダルくなってくるので、普段はあまり聴いていません笑。


『AM8:30』

朝の8時半になり、一連のシークエンスが終了します。

『AM0:00』からドラムが抜け落ち、夜が始まるという高揚感ではなく、「俺たち何やってんだろう」みたいな奇妙なウンザリ感が出ています。


まとめ

サマージャム'95の人気が独り歩きしすぎて夏のイメージばかりが先行していますが、僕は上記の通り、このアルバムが想定している季節というのは本当は冬なのではないかと思っています。

ちなみに、ここまで言っておいてなんですが、事実がどうであれ、僕はこのアルバムは夏に聴くのが好きです。

寸評:『MOTHER2 ギーグの逆襲』

分の中で開催されているコーナーのひとつに、「未プレイの名作ゲームを"回収"しよう」というのがある。
子どもの時分に欲しいゲームを何でもかんでも思うがままに買ってもらえた、なんて人はあまりいないと思うが、そうは言ってもやり残したゲームへの憧れは歳を食っても消えることがないし、どころか年々強まってきてさえいる。
皆んなもそうですよね?
 

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というわけで、スーパーファミコンのゲームソフト『MOTHER2 ギーグの逆襲』を買って、一通りプレイした。
プレイヤーとしての体験をすべて回収するために、SFCのソフトをわざわざ中古で購入した(あの電源スイッチをカチッとやるのがイニシエート的でとても大事なんですよ)。
名古屋の大須にはレトロゲームショップが充実しているので、このコーナーにとってはまさしく渡りに船である。
マザー2は、まぁ、ずっとやりたかったかと言われるとそうでもないけど、名作と言われることの多い作品なので箸を伸ばすことにしてみた(スマブラにピックアップされてる時点で実績があるということだろうと思うし)。
ストーリーについては各自調べてもらえばいいので省略するけど、簡単に言うと少年少女が宇宙人の地球侵略を阻止するために戦うお話です。
コピーライターの糸井重里さんが監督・脚本を手掛けたことが話題になりがち。
コミカルでポップな世界観と不意に挿入されるシリアスさのコントラストが〜とか、脚本が感動するとか、考えさせられるとか、そういう前評判(?)の内容はだいたい理解できた。
 
個人的にマザー2いいなと思ったポイントは、「母親」というものに向き合う契機をくれたことだ。
 
 

MOTHERというタイトルの意味

 

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MOTHER、「母」である。
そもそも、マザーシリーズはなぜ「MOTHER」という奇妙なタイトルなのか?
ギーグという宇宙人からの地球侵略を防ぐというシナリオから、自分は勝手に「我々の母なる惑星、地球」という意味かなと思っていたが、糸井さんは雑誌(ニンテンドードリーム。1996年掲載時の雑誌名はザ・ロクヨンドリーム)のインタビューでこう答えている。
 
今のゲームって非常に父性的なんですよ。父親の罠を息子が攻略していくみたいなね。だから母性的な匂いのするものを作りたかったんです。例えば、最初に円盤が出てくるけど、それはマザーシップだし、お母さんも出てくる。そんな母性(マザー)的な要素を入れたかった。それに僕たちって母親が作った人間なんです。父親が作った人間ってすごく少ないと思いますよ。
 
母という概念をテーマに作ったからMOTHERというタイトルになった、ということだろう(本人は同インタビュー内で「MOTHERシリーズにテーマとかは特にない」と言っているが)。
なので、母なる地球説もまあなくはないかな。
 
ちなみに、『MOTHER2 ギーグの逆襲』の英題は『EarthBound』となっており、前作の『MOTHER』が2015年のWii Uバーチャルコンソールとして配信された際には『EarthBound Beginnings』と英題が当てられている。
 
"earthbound"というのは
  1. 物理的に地表に固着していること。草木の根などもそうだし、鳥が飛べなくなったら、その鳥はearthboundな状態ということになる
  2. 世俗にとらわれた、現世的な
  3. (宇宙船などが)地球に向かっている、という状態
 
と3つくらい意味のある単語らしい。
"bound"は"bind=縛る、拘束、束縛"の過去分詞なので、(いろんな意味で)地球に縛られた、というニュアンス。
「我々は母なる地球から切り離されることができない」
「母から生まれた人間は母に対してearthboundである」
という意味で、この英題が当てられたのだと思う。
 

「ハンバーグを たべて ゆっくり おやすみ。」

 
マザー2では、新しいプレイデータでゲームを始める場合、最初にキャラクターやペットの名前を決めさせられる。
その際に「すきなこんだては なに?」と、自分の好物を訊かれる。
なんだこれ、と思いながら「ハンバーグ」と入力した(この記事を書いているときに初めて知ったが、デフォルトの設定だと偶然にもハンバーグになるらしい)。
もしこの質問が「すきなたべものは なに?」だったら、多分「天下一品 こってり」とか「アイスクリーム」とか答えてたと思うけど、「献立」と言われると回答も少し違ってくると思う(下の写真で、最終チェックの時には「たべもの」表記になってるけど)。
献立と言うからにはそれなりに料理っぽいものを選ぼう、と思って適当にハンバーグにしたけど、後から振り返ってみると、母の手料理のなかでいちばん好きだったのがハンバーグだった。
 

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ゲーム内でその「ハンバーグ」がどう活用されるのか?
自宅に戻るといつでもノーコストでHPとPPを全快できるのだけど、その時ネスのママが
「おかえり ネス なにもいわなくても いいの。ママは わかってるつもりよ。」
「ずいぶん つかれてるようだし ハンバーグを たべて ゆっくり おやすみ。 チュッ!」
と言ってハンバーグを振る舞ってくれる(この自宅で流れるBGMがまた最高なんですよ。GCスマブラのフォーサイドの元ネタです)。
 
自宅に戻ると母親の作ったハンバーグが出てきてステータスが全快することについて、序盤では特になんとも思わなかった。
むしろ「ハンバーグは好きだけど、いつもハンバーグかぁ……」と、10%ほどのウンザリ感もあった。
そもそも自宅のあるオネットからそんなに離れたところまで進めないので、ノーコストで回復できる家を拠点にしていた節がある。
最初はマサラタウンの徒歩圏内でしか行動できないことを想像してもらえば分かりやすいだろう。
帰ろうと思えばいつでも帰れるという物理的制約の無さもあって、「家に帰ったら回復できる。おまけにハンバーグがでてくる」と、母のハンバーグを当たり前のものとし、そこに有り難みなど感じなかった……。
 

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ゲームが進んでいくにつれ、だんだん実家から遠ざかっていく。
謎の宗教団体に占領されてる街や、オバケが出る街、茫漠たる砂漠、狂気の反転世界……。
 
「もう、ママや、妹や、ペットの犬がいつも通りピコピコ動いてるあの家には帰れないのかな」
 
などと心細く思っていると、なんと中盤でテレポートが使えるようになり、いつでも自宅にひとっ飛びで帰れるようになる(ポケモンでいう「そらをとぶ」みたいな感じ)。
初めてテレポートでオネットに帰った時の、あの感慨深さはなんと言えばいいのか。
自分は26歳で一人暮らしを始めたが、そこから半年後に初めて「帰省」というものを経験したときの感覚にそっくりである。
ゲームの進行上はこのタイミングで実家に帰る必要はないのだが、まぁこれも冒険の妙味かなと思って家に帰ってみる。
 
自宅に戻ると、今まで通りママと妹と犬が、ピコピコ動いている。
ママに話しかけると、
 
「おかえり ネス なにもいわなくても いいの。ママは わかってるつもりよ。」
 
「ずいぶん つかれてるようだし ハンバーグを たべて ゆっくり おやすみ。 チュッ!」
 
母親というものはえてして、子どもが一度でも「美味しい」「好き」と言ったものを馬鹿の一つ覚えのように度々ふるまってくれる。
序盤では若干うんざりしていたハンバーグ攻めも、故郷を離れた今となって、それが自分は無条件に肯定されて然るべきなのだという証しのようなものに思えてくる。
 
長居してもポーキーが悪さをするだけだし、一泊したらすぐにオネットを出て、ストーリーを進めよう……。
 

おかあさん

 
ところで、自分は母親とはあまり上手に付き合うことができなかった。
血の繋がった親子であり、毎日顔を合わせる同居人、衣食住を提供してくれる庇護者という意味で、礼儀上うまくやっていこうと試みてはきた。
しかし、生来の気質というか、ものの考え方、価値観がまるで一致した試しがない。
嫌がらせか、と言われるほど、すべてが母親と真逆だった。
お互いの価値観について、理解できないどころか、それが間違ったものだとして、互いの間違いを是正するという名目のもとに攻撃しあってきた(母親が聞いたら、きっと「攻撃とはなにごとや」とまた怒り出すだろう)。
どうやったらこの人からこんな子どもが育つんだ?と未だに不思議に思っている。
 
実家にいた頃は、毎日のように言い合いをしていた。
きっかけは些細なもので、やれ布団を干せだの、部屋の電気を点けろだの、心底くだらないことから始まる。
 
「布団は昨日も干したし、今日はこれから雨が降るかも知れないから干さないほうがいい」
「自分の部屋の電気を点けるタイミングは俺の勝手だ」
 
などと言い返すと、
 
「布団は毎日干した方がいい」
「ずっと暗いところにいたら体がおかしくなる」
 
という旨のことを言いながら部屋に入ってきて電気を点け、布団を奪取していく。
こうなったら、こっちはもう反論の弁を湧き立つがままにさせる。
すると向こうがそれを100倍にして返してくる。
激昂。怒号。
これを20年間ほど、3日に1回くらいのペースで繰り返してきた。
2人とも前世で悪徳を積んだために、いま修羅道に落とされているのかという有り様である。
そんな状況に嫌気がさして、26歳になってすぐに一人暮らしを始めた。
 
初めて帰省というものを経験したとき、母は夕飯にハンバーグを振る舞ってくれた。
帰宅した時、ちんと済ましてテレビを観ながら、振り向きもせずに「ハンバーグ置いたあるしな」と、実家を出る前と寸分違わない様子でそう言う母の後ろ姿が、却ってすべてが普段通りでないことを表していた。
いがみ合いの毎日だったが、母は食事に関しては一切手を抜くことをしなかった。
1ヶ月間まいにち違う献立を作れと言われてもその通りに出来るだろうし(実際、本当にそういう月もあったんじゃないか?)、母の作る料理はどれも驚くほど美味しかった。
いまの自分の結構な逆偏食(僕の造語。美食に興味がなく、健康第一に考えて逆に同じものしか食べなくなること)は、子どもの頃に母が美味しい料理を好きなだけ食べさせてくれたことで、食に対して充分に満足し切ってしまったからだと思う。
こんなにありがたい話があるだろうか。
 

「あなたも もう おうちに かえらなきゃ。」

 

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宇宙人の親玉に操られて悪の手先になった、お隣さんの息子ポーキー。
ポーキーの足跡を追って東奔西走したのち、最後に主人公たちは、敵がいる過去の世界へのタイムスリップのために自分たちの命を捨て、全員ロボットになってくれと頼まれる。
急にメチャメチャ怖い話になったな。
 
世界中の人たちの祈りの力でラスボスを倒したあと(この演出がマジでいいんですよ)、なんやかんやでロボットから生身の身体に戻ってこれた主人公たちはそれぞれの家に帰っていく。
ハッピーエンド。
 
……。
 
自分の家から出発して最後には自分の家に戻って来、旅の道中での成長を両親から手放しで褒められるというシナリオが、家族という共同体が正常に機能している場合の見本のようなものに見えて、自分には辛く感じられる部分があった。
ママはネスの成長を喜び、パパは差し迫ったネスの誕生日をきちんと祝うために家に帰ることを約束してくれた。妹もネスの帰還を喜んだ。
自分は母親とは反りが合わず、父親のことも信用できなかった。兄弟はいない。
こんな家に生まれていれば、自分も、欠落した自分自身を認め、許すことができたのだろうか。
 
一人暮らしを始めてからずっと、頑なに自炊にこだわってきた。
母が作るように栄養バランスの良いメニューを、母が作るように手際良く、母が作るようにとびきり美味く作ってやろう。
いつも、そう思いながら料理をしている。
その一連の行為が自分の中でどういう意味を持つのか、未だに判然としない。
母を越えてやろうという対抗心なのか、一人二役的に自分と母を両方演じようとしているのか、こういう形でしか復讐の仕方を知らないのか……。
 
自分でハンバーグを作ってみて、これはけっこう手間のかかる料理だということがわかった。
次に帰省した時、またハンバーグが出てきたら嬉しい。
MOTHER2 ギーグの逆襲をプレイしながら、漫然とこんな風に考えた。

「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」の真意について

画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の劇中のセリフで、綾波レイというキャラクターの
 
「あなたは死なないわ」
「わたしが守るもの」
 
という有名なものがある(何故わざわざ「新劇場版:序」と書いたか。それは自分がTV版にあまり詳しくないからである)。
このセリフは、エヴァファンや、「そうでも無いけどアニメはいろいろと観てます」というオタク諸兄のみならず、一般層(なにが?)にも広く認知されているフレーズだと思う。
有象無象の「エヴァ名セリフ集」的なランキングには、だいたいこのセリフが何位であれ先ず以てランクインはしていると思う。
 
確かに、綾波レイのあのキャラクターでこんなセリフを言わせたら、それは印象深いものになると思う。
 
そして、このセリフはその真意が誤解されて伝わっていることがとても多いと感じる。
 
レイは、決してシンジを想う気持ちからこのセリフを言ったのではない。
 
綾波レイというキャラクターがこのセリフにどんな気持ちを込めたかについて、自分なりの見解を以下に記す。

綾波レイってなんなん?

 

まず、綾波レイというキャラクターのプロフィールについて。
厳密に説明するとかなり紛糾しそうなので詳細は省くが、要は
 
自然に生まれてきた一個の人間ではなく、エヴァンゲリオンパイロットを務めさせるという目的のために、人為的に作られた人間
 
ということになる(綾波レイの正体の詳しい解説については、偉大な諸先輩方の研究を。エヴァ考察はとても自分の手に負えるものではない)。
 
本人は自分の出自について、
 
  • 「自分にはエヴァに乗って戦う以外なにも無い」
  • エヴァに乗ることを通してしか人と繋がることができない」
 
というような内容のセリフからもわかる通り、自分のことをエヴァンゲリオンパイロット以外の何者とも見なしていない(いなかった)節がある。
 
他者との交流をはからず、感情表現が苦手、オマケに肉体の成長速度が実年齢より何年分か早まっているため、心は見た目よりもずっと幼い。
 
彼女の運命を斟酌するとこのような評は不憫かもしれないが、随分おかしなというか、静かに病んでるキャラクターだと思う。
 

このセリフの背景について①

 
そもそも、「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」はどういうシチュエーションでのセリフなのか?
 
簡単に説明すると、綾波レイ碇シンジが、直後に始まる使徒(敵の怪獣みたいなやつ)との決死の戦いに備えて2人で戦闘服に着替えるシーンで出てくるセリフである。
 
シンジはこの使徒(第6使徒。TV版の名称に倣ってラミエルと呼ばれることが多い)にいちど敗走しており、その際には心肺停止寸前の状態にまで陥る重傷を負っている。
シンジは、ラミエルにボコボコにされたことで、エヴァに乗ることに対するネガティブな気持ちを増長させており、作戦開始の前にはパイロットとしての任務を放棄しようとする描写もある。
つまり、シンジはそういう気持ちを押し殺して支度しており、この時、メンタル的にはかなりナイーブになっている。
そして、レイとパーティションで区切られただけの部屋で2人で着替えているとき、パーティション越しにいきなり
 
「これで死ぬかもしれないね」
 
などとあり得ないほど不吉なことを言いだす。
それを受けてレイが
 
「いいえ、あなたは死なないわ」
「わたしが守るもの」
 
と返す、というのがこのセリフの背景になっている。
 
こうして表層だけを見ると、一般的には「作戦を前にネガティブになっているシンジを励ますレイ。ふだん感情を表に出さないレイの裡(うち)に秘めた優しさが見て取れる、心温まるシーン」という印象になるが、これはぜんぜん違う。
 

このセリフの背景について②

 
vs第6使徒(以下「ラミエル」)戦におけるシンジとレイの役割分担だが、
要はシンジが攻撃、レイが防御である。
 
ラミエルを倒すためには陽電子砲の火力が必要不可欠であり、陽電子砲とその砲手である初号機を守ることにすべてが懸かっている、乾坤一擲の作戦と言える。
この「零号機の役割は初号機を守ること」というのがポイントである。
 

他のセリフを確認してみる

 
「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」の意味を正しく読み解くためには、そこに至るまでのレイのセリフや描写を最初の方から浚っていく必要がある。
この作業の中で特に重要なのは、「レイはシンジのことをどう思っていたのか」「レイの精神世界はどうなっているのか」に注目することである。
 
◆レイはシンジのことをどう思っていたか?
 
これは初めからちゃんと観れば意外と簡単にわかると思うが、vsラミエル戦にケリが付くまで、レイはシンジのことをただの同僚としか思っていない。
厳密に言うと、碇ゲンドウという自分が唯一こころを開く人物の息子という意味では、多少の関心はあったかも知れないが、好意の類は描写されていないのである。
 
シンジがラミエルに瀕死の重傷を負わされた時など、それがよく分かる描写がある。
 
病室のベッドで目が覚めたシンジの隣には、座って本を読むレイ。
「まさか……シンジのことがそんなに心配で!?」と視聴者に思わせたのも束の間、次のラミエルリベンジ戦の作戦要綱を淡々とアナウンスし、エヴァにはもう乗りたくないと怖気ずくシンジに
 
「じゃ、寝てたら」
「初号機には私が乗る」
「さよなら」
 
と、不自然なほど冷たい言葉をかける。
 
このふたりの次の会話が、問題の「これで死ぬかもしれないね」「いいえ、あなたは死なないわ」なのだから、「レイが怯えるシンジを気遣って声をかけた」と解釈するのは、よく考えると逆に難しいくらいではないか?
 
◆レイの精神世界はどうなっているのか?
 
「わたしが守るもの」の次にふたりが会話をするラミエルリベンジ戦直前のシーンで、その会話の内容から、綾波レイという人物の精神世界についてもう少し理解が進む。
 
作戦開始の定刻をふたりで待つ間、少しだけ会話が交わされる。
 
■「綾波はなぜエヴァに乗るの?」
◎「絆だから」
■「絆?」
◎「そう、絆」
■「父さんとの?」
◎「皆んなとの」
■「強いんだな、綾波は」
◎「私には他になにもないもの」
◎「時間よ。行きましょう」
◎「さようなら」
 
ここでレイが言っていることを要約すると、
 
  • 「自分はエヴァに乗って戦う以外なにも無い空っぽな人間です」
  • エヴァに乗って戦うことを通してしか、他人と関わる方法がわかりません」
 
ということだと思う。
 
「新劇場版:序」の続編である「新劇場:破」の劇中で、自身について「エヴァでしか人と繋がれない」と吐露するセリフがあることからも、上記のように考えて問題ないだろう。
 

綾波レイには感情がある

 
ここまで書いてきたことから「綾波レイには感情らしいものは無いのか」という印象を受けるかもしれないが、監督の庵野くん本人は「綾波レイには感情はある。その表現の仕方を知らないだけ」と言っている。
 
まあ出自が出自なだけに、心の発達がまともな軌道に乗らなかったというのも無理はない。
「喜怒哀楽」というレベルの感情ですら、レイの中では整理のつかない目伏しがたいものに感じられるのだろう。
 
そのことを表すエピソードとして、「序」の初めの方で、ゲンドウのことを悪く言ったシンジをレイがいきなりビンタする、というよく分からないシーンがある。
 
これは庵野くんの説明に照らし合わせると、「自分が慕っている人のことを悪く言われてちょっとムカついた」くらいの気持ちを、レイは何故かいきなりビンタすることで発散した、ということになる。
その描写があまりにも脈絡のないものだったので、「金曜ロードショーエヴァやってるし観てみよーっと」くらいの層からすると、「……今の演出はあとから効いてくるのかな?」と、そのシーンに対する解釈をいったん保留にする人も多いのではないだろうか。
 
このシーンにはそんな深い意味はなく、ただ「ムカついたからいきなりビンタしただけです」以上の意味が込められていないのである。
 
こう考えると、綾波レイというキャラクターがどれだけ感情表現に難ありの奇天烈な人物か、わかってもらえるのではないだろうか。
 

「あなたは死なないわ」「わたしが守るもの」の真意

 
ここまでで確認してきた事柄、つまり
 
  1. 綾波レイは、自分について「エヴァに乗って戦う以外なにも無い空っぽな人間、エヴァに乗って戦うことを通してしか他人と関わることができない人間」と考えている
  2. 綾波レイは一般的な感情表現の仕方がほとんどわからなかった
  3. 碇シンジは当該のセリフの直前に、綾波レイに「(自分は)これで死ぬかもしれないね」と言っている
  4. 当該のセリフの時点では、綾波レイ碇シンジに好意を抱いていない
  5. その後に控える作戦での綾波レイの任務は、「碇シンジを守ること」である
 
 
これらを踏まえると、おのずから答えは見えてくるのではないだろうか。
 
「あなたは死なないわ」
「わたしが守るもの」
というセリフは、レイがシンジのことを想って言ったのではない。
レイが、レイ自身に言い聞かせているのだ。
 
より詳細に書くと、
 
■「これで死ぬかも知れないね」
◎「(……『これで死ぬかも知れない』?エヴァパイロット以外アイデンティティの無いこの私が、あなたを守るという任務をしくじることを懸念しているの?)いいえ、あなたは死なないわ」
◎「(私は自分に与えられた任務を必ず全うするために)わたしが守るもの」
 
ということになる。
 
そのシーンを実際に見てみると、
 

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まさにこのタイミングで「わたしが守るもの」と言っているのだが、ここで重要なのはレイの姿勢というか、体の状態である。
これは、シンジに面と向かって言っているのではない。
着替えが済んだ後、パーティション、つまりシンジがいる方向に背を向けてこのセリフを言うのである。
そして、シンジの方を振り返ったりすることは一切なく、このまま無言でスタスタと待機地点へ去ってしまう。
シンジのことを想っての行動であれば、心を配る相手にこんな風に背を向けて、翳りのある表情で喋るだろうか?
こういったところからも、上記のように考えるのが自然であろう。
 
また、レイの感情表現の不得手さを考慮すると、「死ぬかも知れない」と言われて単純に「いやいや、わたしが守ることになってますから。そう上から指示されてますので」という感情の機微もクソもない無粋な返答を寄越した、という部分もある。
 
いずれにせよ、シンジのことを想って、という一般的にイメージされるニュアンスは込められていないのである。
 

オマケ:「さようなら」の意味について

 
こういう事情があっての「あな死なわた守」だというのがわかれば、他のセリフの解読もスムーズに進むのではないだろうか。
 
例えば、レイは何かにつけて「さようなら」と言う。
前述の病室での「じゃ、寝てたら?」のシーンや、作戦開始前の「絆だから」のシーンで、去り際にいかにも意味深な感じで言う。
これら2つの「さようなら」の意味も、今ならわかる。
 
病室では、シンジが「もうエヴァ乗りたないねん」というような泣き言を言ったため、レイが
 
「ほな私が乗りますわ、あんたパイロット辞めはるんやね」
パイロット辞めはるんやったら、もう会社で会うこともありませんわね。ほな、お世話になりました」
 
という、同僚への単なる別れの挨拶として「さようなら」を言っている。
 
また、作戦開始前のシーンでは
「この作戦での私の任務は、初号機を守ること。その為に私は命を落とすかも知れない。最後に言っておきます、さようなら」と、半ば遺言のような気持ちを込めていたのかも知れない。
 
表情や声のトーンでは判別しにくいが、同じ「さようなら」という言葉でも、本人的にはぜんぜん違う意味で使っているのだ。
 

オマケ:どんな顔をすればいいのかわからんのやったら大人しくしときなさい

 
その後、ラミエル戦のクソアツい戦闘シーンがあり、零号機、初号機ともにダメージを負いながらも辛勝を収める。
レイは宣言通り、あわや灰燼に帰すかという窮地に陥った初号機を見事に盾で守った(1発目を外したとき零号機ってどこにいたの?)。
レイを救出するためシンジが零号機のコックピットのハッチを開け、中を確認すると、レイは無事。
シンジはレイの姿を見て安堵し、涙をこぼす。
そこで飛び出したレイのセリフがこれである。
 
「何、泣いてるの」
 
なんやねんこの女。
レイの身を案じて駆け付けたシンジが泣いている姿を見て、「何、泣いてるの」。
これでは、綾波レイには感情がない、というような印象が先行するのも無理はないだろう。
 
そして、これに続くセリフが
 
「ごめんなさい」「こんな時、どんな顔すればいいのかわからないの」
 
ムチャクチャである。
感情表現が苦手とか、そういうレベルの話だろうか。
本当に心底から「この人なんで泣いてるんだろう、こういう時どんな顔すればいいんだろう」と思ったとしても、それを目の前の相手に向かってわざわざ口に出すというのはなかなか出来ないことではないだろうか(だからこそ、レイの生い立ちの不憫さが引き立つのだが)。
 
しかし、シンジは怯むことなく(?)レイに向かって
 
「笑えばいいと思うよ」
 
と諭す。
すると、レイは一瞬のハッとした表情を挟んで、シンジに柔らかく微笑む。
シンジが差し出した手をレイがとる。
 
レイがシンジのことを意識し始めたのはここからだと思うが、それにしてもこの女、笑おうと思えば笑えたのである。
 
こういうところが「序」のレイらしいなと思う。
普段は笑うタイミングがわからないが、感情が無いわけでもないし、「笑え」と命令されたら笑うことはできるのである。
感情が無いから笑うことができない、というのは誤りである。
 
鷺巣詩郎氏の素敵な音楽によって感動的なシーンであるかのように彩られてはいるが、会話の裏側に隠れているのは、綾波レイというキャラクターの不具性である。